2019/08/17②

通夜。

祭壇は白とピンクと紫の花々をベースに、中央にヒマワリがあしらわれて優しく華やかな雰囲気だった。
ほんとうに、祖母は花が大好きだった。優しいピンクの着物姿にしてもらった遺影も、花に囲まれてよく映えていた。


通夜の会場に着いて祖母の戒名を知った。
祖母の名から一字と、祖母に似合う漢字がいくつも使われていて嬉しかった。

住職が読経の前に現代語で言った言葉(その眼は決して開かずその唇は永久に閉ざされ…といったニュアンスの言葉)が単純に胸に刺さって、拝みの前から涙が出てしまった。


祖母自身(88歳)の友人知人のほとんどはすでに故人となっている。または一人で外出ができないか、祖母と同じようにもう外の世界のことがわからなくなっているか。

それに祖母は我が家に嫁いで以来ずっと農作業と家事をして暮らしてきたから、職場での人間関係というものを持たなかった。それに運転免許もなかったから、祖母の行動範囲は家から自転車で出かけられる程度の近所まで。
家での仕事の傍ら、祖母はその小さな世界で、気のおけない仲間とグラウンドゴルフやカラオケ会、句会などに参加し、時おり仲間と旅行に出かけたりした。ささやかだが楽しそうな様子を子どもの頃によく見たものだと思い出す。

その仲間たちがもう祖母を見送る側にいないということが残念だった。

でも、祖母にとっては遠い大勢の親族をはじめ、喪主である父の同級生、祖父の知人、母や叔母の職場関係者や知人たちがずいぶん参列してくれた。だから祖母の通夜は決して寂しい式ではなかった。

唯一祖母の訃報を知らせていた私の親友も会場に駆けつけてくれたし(『どうしても時間の都合がつかず式には間に合わなかったが、会場に飾られていた写真ボードを眺めて手を合わせた。後日改めてお線香を上げさせてほしい』と後で連絡をくれた)。


閉式後の通夜振舞いは賑やかな雰囲気で進んだ。
献杯の挨拶をするときに叔父が緊張してメモのどこを読んでいるのかわからなくなり「あれ…?」とつぶやいたところで、会場から和やかな笑いも起きたし。

祖母の曾孫にあたる、父方の従兄・従妹の娘たち4人(小5・小2・小1・年中)はとても元気でよく食べたし。大人は疲れや緊張でピリピリしがちなので、子どもたちが天真爛漫に過ごしてくれているととても心が和む。



通夜を終えてみると、長生きすればするほど見送ってくれる人が少なくなっていくのは、当然ではあるが切ないことだと感じてしまう。

祖母の人生の大部分における「仕事」は農作業、庭いじり、日常の家事や子や孫を育てることなど、ほとんど「家」の中で営まれていた。古いアルバムに綴じられている普段着の祖母の笑顔を見れば、それが祖母の生きがいだったのだと信じずにはいられない。

祖母はこの「家」を、家族を、家を守る自分の人生をきっと愛していた。私たち家族は、いや私自身は、はたして祖母の愛に応えたられていたのだろうか。

明日はついに葬儀・告別式。朝が早い。

お通夜の読経でずいぶん涙が出たのだから、明日はもっと涙をこぼしてしまいそう。