2019/08/16②

祖母が自宅で過ごす最後の夜。

夕方になり祖母の遺影が届けられる。想像以上によい出来で祖父も満足。

家族で夕食をとっているとき、また祖父の昔話に花が咲く。祖父は、古い写真を貼ったボード3枚、祖母がかつて俳句を寄稿していた句集などに飾られた祭壇と祖母の遺影にたいへん心を打たれているようだった。
そして祖父は私に「明日の朝、祭壇のようすを写真にとっておいてほしい」と頼んだ。

昼のうちに祭壇の写真は撮っておいたのだが、朝は光の加減もまた違うだろうし、なにしろ祖父の頼みなのでもちろんまた撮る。


いつもは夕食が済み次第早々に寝てしまうことも多い祖父だが、祖母が家で過ごす最後の夜だからか、22時を過ぎても祭壇の正面に座って祖母の棺と遺影をずっと眺めていた。

そして、昨日まで祖母の布団の枕元に寄り添うように敷いていた自分の布団を、今日はもっと離れて祖母の棺と並行に敷いて寝ていた。

寝る前、朝起きたときに、祖母の遺影の笑顔がよく見えるように眠ったのだと思う。

畳にあぐらをかき、祖母の遺影を何時間も黙って見つめている祖父の背中を、私は永久に忘れられそうにない。言葉で表すことはほとんどなかったのだろうが、今のは祖父は存在そのものが愛なのだ。


私はといえば金曜ロードショーの「千と千尋の神隠し」をあまり集中せずになんとなく、猫を抱きながら眺めていた。

銭婆の「一度あったことは忘れないものだよ。思い出せないだけで」という旨の台詞にひどく泣いてしまった。
病気とともに失われてしまった祖母の記憶も、そうであってほしい。祖母は私たち家族を忘れたのではなく、思い出せなくなっただけだったのだと信じたい。